京都検定

過去問|2級 第6回京都・観光文化検定試験(2009年)|芸術・文化(4/10 page)

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4. 芸術・文化に関する記述について、最も適当なものを(ア)~(エ)から選びなさい。

 能楽や人形浄瑠璃に続いてユネスコの文化遺産に登録された歌舞伎は、京都と縁が深い。慶長8年(1603)の春、出雲の阿国が( 31 )の社頭でかぶき踊りを披露したのが創始である。元和年間には、幕府が四条河原に( 32 )の櫓を許可し、興行を公に認めた。遊女歌舞伎や若衆歌舞伎、野郎歌舞伎などを経て、元禄期には江戸の市川団十郎と人気を競う( 33 )が劇作家の( 34 )とともに京の舞台で活躍。上方歌舞伎の演技の基本となる( 35 )を編み出している。
 四条大橋南詰に建つ南座はかつての櫓の名残であり、( 36 )が廃座となった明治26年(1893)以降、京都を代表する歌舞伎劇場として今日までその伝統と格式を守り伝えている。古式ゆかしい「まねき」でも知られる南座の顔見世は、現在12月に催されるが、江戸時代には毎年役者と座元の契約更改を済ませた旧暦の
( 37 )に、新しい一座のお披露目として開かれた。
 顔見世で上演される演目には、京都を舞台にしたものが多く、有名な『仮名手本忠臣蔵』の五段目は山崎街道の場面であり、九段目は( 38 )が舞台となる。顔見世はまた京の伝統工芸とも関わりがあり、ロビーに飾る贔屓筋から出演役者への贈物の「( 39 )」は他の劇場では見られないものである。さらに京の五花街とのつながりも深く、芸舞妓による顔見世の花街総見が行なわれる。
 ( 40 )が詠んだ「顔見世を 見るため稼ぎ 溜めしとか」は、年1回のぜいたくを楽しむ京の庶民の姿を描いた句として知られる。南座の顔見世は戦時中も、終戦直後の混乱期もただの一度も休演することがなかった。

(31) 慶長8年(1603)の春、出雲の阿国が(   )の社頭でかぶき踊りを披露したのが、歌舞伎の創始である。



北野天満宮

(32) 元和年間には、幕府が四条河原に(   )の櫓(やぐら)を許可し、興行を公に認めた。



7つ

(33) 遊女歌舞伎や若衆歌舞伎、野郎歌舞伎などを経て、元禄期には江戸の市川団十郎と人気を競う(   )が劇作家の( 34 )とともに京の舞台で活躍。



坂田藤十郎

(34) 遊女歌舞伎や若衆歌舞伎、野郎歌舞伎などを経て、元禄期には江戸の市川団十郎と人気を競う( 33 )が劇作家の(   )とともに京の舞台で活躍。



近松門左衛門

(35) 上方歌舞伎の演技の基本となる(   )芸を編み出している。



和事(わごと)

(36) 四条大橋南詰に建つ南座はかつての櫓(やぐら)の名残であり、(   )が廃座となった明治26年(1893)以降、京都を代表する歌舞伎劇場として今日までその伝統と格式を守り伝えている。



北座(きたざ)

(37) 古式(こしき)ゆかしい「まねき」でも知られる南座の顔見世は、現在12月に催されるが、江戸時代には毎年役者と座元(ざもと)の契約更改を済ませた旧暦の(   )に、新しい一座のお披露目として開かれた。



11月
古式(こしき)ゆかしいとは、「古くからのやり方にのっとった様子で」という意味

(38) 顔見世で上演される演目には、京都を舞台にしたものが多く、有名な『仮名手本忠臣蔵』の五段目は山崎街道の場面であり、九段目は(   )が舞台となる。



山科

(39) 顔見世はまた京の伝統工芸とも関わりがあり、ロビーに飾る贔屓筋(ひいきすじ)から出演役者への贈物の「(   )」は他の劇場では見られないものである。



竹馬

(40) (   )が詠んだ「顔見世を 見るため稼ぎ 溜めしとか」は、年1回のぜいたくを楽しむ京の庶民の姿を描いた句として知られる。



高浜虚子(たかはま きょし)
正岡子規に師事した。