京都検定

過去問|2級 第2回京都・観光文化検定試験(2005年)|平安時代(1/10 page)

当サイトでは、1級の記述式を意識して作成しています。そのため、選択肢は表示していません。

1. 平安時代に関する記述について、最も適当なものを(ア)~(エ)から選びなさい。

(1) 長岡京遷都の推進者であった藤原種継の暗殺事件に連座して亡くなり、鎮魂のために上御霊神社・下御霊神社などに祀られた人物は誰か.



早良親王(さわらしんのう)

(2) 平安京の中央には、都城南端の正門である羅城門から大内裏へまっすぐに南北に通じる朱雀大路が敷設されていたが、これは現在のどの通りにあたるか。



千本通

(3) 平安京の天皇の居所である内裏は、火災でたびたび焼失し、再建までの間、一時的に公家の邸宅を借用した。これを何というか。



里内裏(さとだいり)

(4) 唐で声明(しょうみょう)を学び、大原に勝林院、来迎院の前身となる天台声明の道場を創建したと伝えられる平安時代の僧は誰か。



円仁(えんにん)
声明(しょうみょう)とは、仏典に節をつけた仏教音楽のひとつで、儀礼に用いられる。 日本では、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)ともいう。

(5) 平安時代中期、市井(しせい)で念仏を広め、六波羅蜜寺の前身である西光寺を開いた空也の通称はどれか。



阿弥陀聖(あみだひじり)
市井(しせい)とは、人家が集まっている所。ちまた。

(6) 藤原道長が自邸である土御門殿(つちみかどどの)の東に建立した寺院で、道長の通称「御堂関白(みどうかんぱく)」の由来ともなった寺院はどれか。



法成寺(ほうじょうじ)

(7) 平安後期、白河上皇が院御所の護衛のために設置し、平正盛・忠盛親子も属していた上皇の親衛隊を何というか。



北面武士(ほくめんのぶし)

(8) 後白河上皇が、法住寺殿(ほうじゅうじどの)の鎮守として創建し、足利義満が観阿弥・世阿弥父子の能を初めて見たという神社はどこか。



新熊野神社(いまくまのじんじゃ)

(9) 平家打倒の陰謀を企てた僧である俊寛(しゅんかん)の山荘があったのはどこか。



鹿ヶ谷
俊寛とは

(10) 加茂社(上賀茂神社・下鴨神社)では平安京遷都以来、「斎院(斎王)」の制度が設けられていたが、この制度を創設した天皇は誰か。



嵯峨天皇