京都検定

過去問|2級 第12回京都・観光文化検定試験(2015年)(1/5 page)

目次

<1> 歴史・史跡に関する記述について、( )に入れる最も適当なものを(ア)〜(エ)から選びなさい。

(1)平安京の地相は「四神相応之地」といわれ、そのひとつである玄武は(   )にあたる。

選択肢
(ア)船岡山
(イ)山陰道
(ウ)鴨川
(エ)巨椋池



(ア)船岡山

(2)平安宮(大内裏)の南の門である朱雀門がある東西の通りは(   )である。

選択肢
(ア)一条大路
(イ)二条大路
(ウ)三条大路
(エ)七条大路



(イ)二条大路

(3)平安宮内裏の正殿である(   )の南庭には、「右近の橘」および「左近の桜」が配されている。

選択肢
(ア)大極殿
(イ)紫宸殿(ししんでん)
(ウ)清涼殿
(エ)豊楽殿



(イ)紫宸殿(ししんでん)

(4)平安初期に岡崎に造営された「六勝寺」と呼ばれる6つの寺院群の中で、最勝寺の建立を発願した天皇は(   )である。

選択肢
(ア)堀河天皇
(イ)鳥羽天皇
(ウ)崇徳天皇(すとくてんのう)
(エ)近衛天皇(このえてんのう)



(イ)鳥羽天皇

(5)永徳2年(1382)、足利義満の発願によって創建され、七重の大塔があった京都五山の寺院は(   )である。

選択肢
(ア)建仁寺
(イ)相国寺(しょうこくじ)
(ウ)天龍寺
(エ)南禅寺



(イ)相国寺(しょうこくじ)

(6)寛永3年(1626)、大御所の徳川秀忠と将軍の家光が上洛して、(   )で後水尾天皇を迎えた。

選択肢
(ア)伏見城
(イ)淀城
(ウ)二条城
(エ)亀山



(ウ)二条城

(7)江戸幕府の第5代将軍である徳川綱吉の生母(   )は、京都の青果商の生まれとも伝わり、のちに善峯寺(よしみねでら)や乙訓寺(おとくにでら)をはじめ寺社の復興に尽力した。

選択肢
(ア)桂昌院(けいしょういん)
(イ)高台院
(ウ)崇源院(すうげんいん)
(エ)常高院



(ア)桂昌院(けいしょういん)

(8)江戸時代末期に城南宮西側の小枝橋付近を強行突破しようとした旧幕府軍に発砲した(   )の行為により、鳥羽・伏見の戦いの口火が切られたとされている。

選択肢
(ア)薩摩藩
(イ)長州藩
(ウ)土佐藩
(エ)福井藩



(ア)薩摩藩

(9)明治2年(1869)、国による学校制度の創設より3年も早く、京都では「(   )」と呼ばれる64の小学校が全国に先駆けて開校された。

選択肢
(ア)町組
(イ)町割
(ウ)両側
(エ)番組



(エ)番組

(10)蹴上発電所の電力を利用した電気鉄道の敷設を発案した(   )は、京都商工会議所の初代会長にもなった。

選択肢
(ア)高木文平
(イ)山本覚馬(やまもと かくま)
(ウ)浜岡光哲(はまおか こうてつ)
(エ)槇村正直



(ア)高木文平

<2> 神社・寺院に関する記述について、(   )に入れる最も適当なものを(ア)~(エ)から選びなさい。

(11)(   )は長岡京遷都の際、桓武天皇の皇后であった藤原乙牟漏(ふじわら の おとむろ)が奈良の春日社の神霊を勧請したこと始まるとされている。

選択肢
(ア)向日神社
(イ)平野神社
(ウ)松尾大社
(エ)大原野神社



(エ)大原野神社

(12) 本殿が神社建築最古の遺構として知られる宇治上神社の境内に湧く名水は「(   )」という。

選択肢
(ア)紫雲水(しうんすい)
(イ)桐原水(きりはらすい)
(ウ)観世水(かんぜすい)
(エ)金色水(こんじきすい)



(イ)桐原水(きりはらすい)

(13) 芸能・芸術の上達を祈願する人から崇敬を受けている「芸能神社」は、(   )の境内にある。

選択肢
(ア)梅宮大社
(イ)新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
(ウ)白峯神宮(しらみねじんぐう)
(エ)車折神社(くるまざきじんじゃ)



(エ)車折神社(くるまざきじんじゃ)

(14)(   )は、日本三如来のひとつである薬師如来立像(重文)を本尊とし、「因幡堂(いなばどう)」とも称される。

選択肢
(ア)仁和寺
(イ)六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
(ウ)平等寺
(エ)法界寺



(ウ)平等寺
(豆知識)日本三如来⇒信州善光寺「阿弥陀如来」・嵯峨清凉寺「釈迦如来」・因幡堂「薬師如来」

(15)「御室(おむろ)」の地名は、先帝の遺志を継いで仁和寺の開基となった(   )が出家後、寺内に自らの御室(僧房)を建立したことに由来するといわれている。

選択肢
(ア)嵯峨天皇(さがてんのう)
(イ)宇多天皇(うだてんのう)
(ウ)花園天皇
(エ)清和天皇



(イ)宇多天皇(うだてんのう)

(16)「百々御所(どどのごしょ)」とも呼ばれる(   )は、歴代皇女ゆかりの人形を春秋公開して供養を行っている。

選択肢
(ア)慈受院
(イ)大聖寺
(ウ)宝鏡寺
(エ)霊鑑寺



(ウ)宝鏡寺

(17) 平安初期に平親範(たいら の ちかのり)が平家ゆかりの三寺(平等寺・尊重寺・護法寺)を合併して復興した(   )は、その後江戸時代に山科で復興され、紅葉の名所となった門跡寺院である。

選択肢
(ア)安祥寺(あんしょうじ)
(イ)勧修寺(かじゅうじ)
(ウ)随心院(ずいしんいん)
(エ)毘沙門堂



(エ)毘沙門堂

(18) 十一面観音立像(国宝)を本尊とする(   )は、西国三十三所観音霊場の第17番札所である。

選択肢
(ア)今熊野観音寺
(イ)頂法寺
(ウ)善峯寺(よしみねでら)
(エ)六波羅蜜寺



(エ)六波羅蜜寺
(豆知識)境内に祀られている弁財天は都七福神まいりの札所

(19) 岩倉門跡とも呼ばれる(   )は、磨かれた板の間に映える「床みどり」「床もみじ」で知られる。

選択肢
(ア)実相院
(イ)円通寺
(ウ)曼殊寺
(エ)妙満寺



(ア)実相院

(20) 宇治七名園のひとつの朝日茶園であった地に建てられた(   )は、淀城主の永井尚政が再興した。

選択肢
(ア)酬恩庵
(イ)興聖寺(こうしょうじ)
(ウ)石峰寺(せきほうじ)
(エ)萬福寺



(イ)興聖寺(こうしょうじ)
(豆知識)道元が深草に道場として創建したのが始まり/その後、宇治七名園のひとつの朝日茶園があった宇治山田に、廃絶していたが淀城主の永井尚政が菩提寺として再興