京都検定

過去問|2級 第12回京都・観光文化検定試験(2015年)(5/5 page)

目次

<9> 自然と観光に関する記述について、(   )に入れる最も適当なものを(ア)~(エ)から選びなさい。

(81) 平成25年(2013)に京都府が府北部の環境振興策として、「(   )」構想を打ち出した。

選択肢
(ア)海の京都
(イ)森の京都
(ウ)お茶の京都
(エ)歩くまち・京都



(ア)海の京都

(82) 京都御所は、天明8年(1788)に起きた京都歴史上最大級とされる「(   )」とも呼ばれる天明の大火によって焼失した。

選択肢
(ア)どんどん焼け
(イ)太郎焼亡(たろうしょうぼう)
(ウ)次郎焼亡(じろうしょうぼう)
(エ)団栗焼け(どんぐりやけ)



(エ)団栗焼け(どんぐりやけ)

(83) 京都の市電の中で昭和36年(1961)に廃線となった(   )は、「チンチン電車」または「N電」と呼ばれて人々に親しまれた。

選択肢
(ア)河原町線
(イ)九条線
(ウ)北野線
(エ)千本線



(ウ)北野線

(84) 京都府は6府県に隣接しているが、JRの(   )は、他府県との境界線がプラットホーム(のりば)にある。

選択肢
(ア)山科駅
(イ)東舞鶴駅
(ウ)木津駅
(エ)山崎駅



(エ)山崎駅

(85) 京都観光の玄関口である京都駅の(   )ホームは、豊臣秀吉が築いた御土居(土塁)を活用してつくられたプラットホームである。

選択肢
(ア)0番
(イ)1番
(ウ)10番
(エ)14番



(ア)0番

(66) 日本で2番目に古い京都市動物園では、平成27年(2015)にゾウの森が完成し、(   )から新たに4頭のゾウが寄贈された。

選択肢
(ア)インド
(イ)マレーシア
(ウ)ラオス
(エ)タイ



(ウ)ラオス

(87) 白峯神宮にある(   )は、京都市指定天然記念物である。

選択肢
(ア)チリツバキ
(イ)オガタマノキ
(ウ)ヤマモモ
(エ)イチョウ



(イ)オガタマノキ

(88) 下鴨神社の社叢(しゃそう)である「糺の森(ただすのもり)」の中で、最も多い(   )は全体の20%以上を占めている。

選択肢
(ア)カエデ
(イ)サクラ
(ウ)ケヤキ
(エ)クスノキ



(エ)クスノキ

(89) 東山連峰の穏やかな景観をして、俳人の(   )は「布団着て 寝たる姿や 東山」と詠んだ。

選択肢
(ア)松尾芭蕉
(イ)与謝蕪村
(ウ)向井去来
(エ)服部嵐雪(はっとり らんせつ)



(エ)服部嵐雪(はっとり らんせつ)

(90) 京都は古くは「やましろ」とも呼ばれ、これは京都市内最高峰で府内でも一番高い山である(   )そのものを意味しているともいわれている。

選択肢
(ア)愛宕山(あたごやま)
(イ)比叡山
(ウ)皆子山(みなごやま)
(エ)鞍馬山



(ウ)皆子山(みなごやま)

<10> 【公開テーマ問題】 「琳派」に関する記述について、(   )に入れる最も適当なものを(ア)~(エ)から選びなさい。

琳派は、師弟関係や世襲による系譜ではなく、“私淑(ししゅく)”によって美意識が継承されたことに大きな特色がある。琳派の祖の一人とされる本阿弥光悦は、刀剣の鑑定・研磨を家業とする家に生まれ、狩野派の「唐様」とは異なり日本の四季を描いた「大和絵」をバックボーンに、書・漆芸・陶芸・出版などに斬新なデザイン力を発揮した。陶芸の代表作である楽茶碗「( 91 )」は国宝である。その才能は作庭にも生かされ、( 92 )の「三巴の庭(みつどもえのにわ)」は光悦の作と伝わる。光悦と出会った絵師の俵屋宗達は、( 93 )という独自に考案した技法を用いて、革新的で力強い「風神雷神図屏風」(国宝)を描いた。元和元年(1615)、光悦は( 94 )から拝領した鷹峯(たかがみね)の地に、多くの芸術家や工芸家と共に移り住み「光悦村」(工芸集落)を開いた。光悦寺は光悦が草庵の傍らに立てた堂字が起源とされ、光悦垣でも有名である。
 光悦と宗達の偉大から約100年。富裕な上層町衆が台頭した元禄時代、京都有数の呉服店「( 95 )」に尾形光琳・乾山兄弟が生まれた。卓越したセンスをもつ光琳は、華麗で大胆なデザインを着物や帯をはじめ、陶器や蒔絵などを生み出し、陶芸に秀でた乾山との合作も多い。金箔の上に群青と緑青を用いた「( 96 )屏風」は傑作として知られ、「風神雷神図」の模写も行うなど、宗達の影響を大きく受けた。光琳・乾山の墓は、「松竹梅図」を所蔵する妙願寺の塔頭である( 97 )にある。「琳派」という呼称は、光琳の名から後の時代に付けられた。
 さらに100年後、後に江戸琳派と呼ばれる酒井抱一(さかい ほういつ)が現れ、京風の絵を描いた。宗達・光琳の絵をこよなく愛した抱一もまた「風神雷神図」の模写を行い、図録『光琳百図』を出版した。代表作の「四季花鳥図屏風」は( 98 )に所蔵されている。明治に入ると、( 99 )がヨーロッパで流行したジャポニズムに触発され、琳派の構図や技法を暮らしの中のデザインとして表現していく。「( 100 )」は今もファンが多い彼の代表作のひとつである。

(91) 琳派の祖の一人とされる本阿弥光悦は書・漆芸・陶芸・出版などに斬新なデザイン力を発揮し、陶芸の代表作である楽茶碗「(   )」は国宝である。

選択肢
(ア)加賀
(イ)毘沙門堂
(ウ)不二山(ふじさん)
(エ)雨雲



(ウ)不二山(ふじさん)

(92) その才能は作庭にも生かされ、(   )の「三巴の庭(みつどもえのにわ)」は光悦の作と伝わる。

選択肢
(ア)妙顕寺
(イ)頂妙寺
(ウ)常照寺
(エ)本法寺(ほんぽうじ)



(エ)本法寺(ほんぽうじ)

(93) 光悦と出会った絵師の俵屋宗達は、(   )という独自に考案した技法を用いて、革新的で力強い「風神雷神図屏風」(国宝)を描いた。

選択肢
(ア)たらしこみ
(イ)ぼかし
(ウ)破墨(はぼく)
(エ)空刷毛(からばけ)



(ア)たらしこみ

(94) 元和元年(1615)、光悦は(   )から拝領した鷹峯(たかがみね)の地に、多くの芸術家や工芸家と共に移り住み「光悦村」(工芸集落)を開いた。

選択肢
(ア)徳川家康
(イ)徳川秀忠
(ウ)徳川家光
(エ)徳川家綱



(ウ)徳川家光

(95) 光悦と宗達の偉大から約100年。富裕な上層町衆が台頭した元禄時代、京都有数の呉服店「(   )」に尾形光琳・乾山兄弟が生まれた。

選択肢
(ア)越後屋
(イ)奈良屋
(ウ)雁金屋(かりがねや)
(エ)大文字屋



(ウ)雁金屋(かりがねや)

(96) 尾形光琳といえば、金箔の上に群青と緑青を用いた「(   )屏風」は傑作として知られ、「風神雷神図」の模写も行うなど、宗達の影響を大きく受けた。

選択肢
(ア)松林図
(イ)夏秋草図
(ウ)藤花図
(エ)燕子花図(かきつばたず)



(エ)燕子花図(かきつばたず)

(97) 光琳・乾山の墓は、「松竹梅図」を所蔵する妙願寺の塔頭である(   )にある。

選択肢
(ア)本妙院
(イ)泉妙院
(ウ)本隆寺
(エ)妙蓮寺



(イ)泉妙院

(98) 江戸琳派と呼ばれる酒井抱一(さかい ほういつ)の代表作である「四季花鳥図屏風」は(   )に所蔵されている。

選択肢
(ア)細見美術館
(イ)養源院
(ウ)陽明文庫
(エ)京都国立博物館



(ウ)陽明文庫

(99) 明治に入ると、(   )がヨーロッパで流行したジャポニズムに触発され、琳派の構図や技法を暮らしの中のデザインとして表現していく。

選択肢
(ア)伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)
(イ)神坂雪佳(かみさか せっか)
(ウ)中村芳中(なかむら ほうちゅう)
(エ)鈴木其一(すずき きいつ)



(イ)神坂雪佳(かみさか せっか)

(100) 「(   )」は今もファンが多い彼の代表作のひとつである。

選択肢
(ア)双犬図
(イ)唐獅子図
(ウ)斑猫(はんみょう)
(エ)金魚玉図



(エ)金魚玉図